古教、心を照らし、心、古教を照らす ~「あなたの意見は何だ?」

2020年03月15日 代表者BLOG

「この人の本を読みなさい。あなたの大学の先輩よ」

 

私が銀行で法人営業をしていたとき、担当先の1社だったある会社の女性社長に勧められた人がいます。それが安岡正篤先生で、東洋古典を中心としたその内容は、西洋的な学問に漬かってどうも学問に悶々としていた私の心に干天の慈雨のように染みわたり、人生における運命的な出会いとなりました。

 

その安岡先生が良く紹介する話として、「古教照心、心照古教」というものがあります。ものごとを学ぶ人間にとって示唆に富む内容なので、少しここでも引用しておきましょう。

 

本の読み方にも二通りあって、一つは同じ読むと言っても、そうかそうかと本から始終受ける読み方です。これは読むのではなくて、読まれるのです。書物が主体で、自分が受け身になっている。こっちが書物から受けるのである、受け取るのである。つまり吸収するのです。自分が客で、書物が主。英語でいえばpassiveです。もっと上品に古典的に言うと「古教照心」の部類に属する。しかしこれだけではまだ受け身で、積極的意味において自分というものの力がない。そういう疑問に逢着して、自分で考え、自分が主になって、今まで読んだものを再び読んでみる。今度は自分の方が本を読むのです。虎関禅師は、「古教照心、心照古教」と言っておるが、誠に考えさせられる、深い力のある言葉です。自分が主体になって、自分の心が書物の方を照らしてゆく。

安岡正篤『活学としての東洋思想』

 

教師や上司の言っていることを一生懸命メモして覚えたところで劣化コピーでしかありません。そうではなく…

 

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