18-年賀号:干支に学ぶ戊戌

物に本末あり

「今年の干支はどういう意味でしょうか」と興味を持つ経営者の方は多いものです。答えのない時代に経営の舵取りを任される身の上にとって、何らかの考える基準や指針になるような存在は有難いものです。

景気に循環があるように、人の営みにも大きな流れがあるのでしょう。干支というものは、「干=幹」、「支=枝」であり、合わせて一本の草木、一つの生命体を表しています。それは六十の段階に分かれて物事の発生、成長、衰退、そして新しい芽吹きへの循環を表しており、それは永年の歴史を経て抽象度を増し、その経験知は時代を通じて参考にされてきました。「物に本末あり、事に終始あり、先後するところを知れば則(すなわ)ち道に近し」(『大学』)というように、昔から私たちは干支という本末を学ぶことで多くの知見を得ています。


戊戌(つちのえ・いぬ)

今年の干支である戊(ぼう)戌(じゅつ)ですが、「戊(ぼう)」も「戌(じゅつ)」も「茂」という字と同様、物事が煩雑になる、草木でいえば葉が生い茂って風通しや日当たりが悪くなる様子を指しています。結果的に、思い切って枝葉を剪定する必要がある、大鉈を振るわなければならないという意味を持つと同時に、上手く剪定さえできれば更に成長を加速することができるというニュアンスを持つと言えるでしょう。

前回の戊戌は一九五八年(昭和三十三年)、日本では東京タワーが完成し、新一万円札(聖徳太子)が発行される等、戦後の経済的活力が増していきましたが、中国では大躍進政策が始まり、その失敗は毛沢東の辞任につながりました。その前の戊戌は一八九八年(明治三十一年)、帝国主義が本格化し、米西戦争が勃発すると共に、欧州列強が中国(清朝)に次々と租借地を獲得していきます。更に遡れば一八三八年、前年には大塩平八郎の乱、翌年には蛮社の獄と幕末の動乱に駆け上っていく最初のタイミングと言えるでしょう(一八四〇年にはアヘン戦争が起こっています)。


さて、今年の戊戌は

昨年の小池旋風は「旋風」で終わり、モリ・カケ問題があったとしても、結局自民党の強さを再認識した年となりました。企業でいえば、神戸製鋼に始まるトップ企業の不祥事問題が続発し、日本のモノ作りに対する信頼を揺るがせています。海外では、トランプ政権の誕生と英国のEU離脱という二大ショックは相変わらず混沌としており、行先は依然不透明と言えるでしょう。

自浄作用なく問題を先送りする国や組織は、自己承認と自己肥大を繰り返し、煩雑さを増していきます。それらが内包する問題もまた雪だるま式に肥大し、もはや対処療法では間に合わないでしょう。安全保障にせよ、財政問題にせよ、企業体質にせよ、この段階で抜本的な「剪定」を行わなくては、やはり煩雑さと無責任の中で自家中毒に陥るだけのように思います。最大の敵は私たち自身なのです。

来年の干支は己(き)亥(がい)です。己(き)は「紀」律に見られる様に曲がっているものを正していくこと、亥(がい)は「核」であり、物事が起爆的エネルギーを孕むことを意味します。平成も来年で最後です。だからこそ、今年はその先駆けとして、大いに身辺を剪定していく実行の年にしたいものです。


編集後記

皆様、新年明けましておめでとうございます。

清少納言は「冬はつとめて(早朝)」と断言しましたが(「枕草子))、元旦の朝ほど新鮮で厳粛なものはありません。このような機会に我が身を反省し身辺を整理することは、社会の激流の中で自分自身を取り戻す一本の命綱、一本の係留杭のように思います。

昨年は本当に目まぐるしく社会が動いた年でした。激動の社会をどう生きるか、どう主体的に未来を作っていくのか。弊社の社会的役割と期待を肌で感じています。元旦の清涼な空気を胸いっぱいに吸い込んで、今年も力強く挑戦し、前進して参ります。

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