「自分で考えて動ける人に育ってほしい」。経営者や人事の皆さんがそう願うとき、その人が自分の方針に疑問を向ける場面まで想像しているでしょうか。自ら考える人は、上司が見落としていることにも気づきます。そこで出てきた異論を、仕事への貢献として受け止められるか。人を育てる側の力量が問われるのは、むしろそのときかもしれません。
2026年8月の寺子屋(古典)では、『孟子』の公孫丑(こうそんちゅう)篇を読み、参加者の皆さんと意見を交わしました。取り上げたのは「召さざるところの臣」、君主であっても呼び付けることのできない臣下の話です。私はこの言葉を、部下の意見をよく聞こうという心掛けから、もう一歩先へ進めて読みたいと思います。自分が教わる可能性を、組織の会議や評価、意思決定の中に、どこまで具体的に用意しているでしょうか。
従順さを、貢献と取り違えない
孟子は、世の中で尊ばれるものとして、爵位、年齢、徳の三つを挙げます。一つを持っているからといって、ほかの二つを軽んじてよいはずがない。大きなことを成し遂げようとする君主には、呼び付けられない臣下がおり、相談があれば君主の方から出向くのだと言います。さらに、自分が教えられる者を臣下にすることは好むのに、自分が教わる者を臣下にすることは好まない、と当時の君主たちを批判します。自分が上に立てる関係ばかりを集めていないか、という鋭い問いは、今の経営者にも通じるのではないでしょうか。
役職が上がれば、決められることは増えます。しかし、それだけで顧客の事情や技術の限界に詳しくなるわけではありません。決定する権限と、判断に必要な知見は、組織の中で別々に分布しています。もちろん、孟子のいう徳を専門知識と同一視することはできませんが、現代の組織においても手段を工夫する意見とともに、仕事の目的や方針を問い直す意見が届く余地を持ちたいものです。
この関係を、現代のフォロワーシップ論から考えてみます。ロバート・ケリーは、1988年の論考とその後の著作で、組織を支える人のあり方を二つの軸で捉えました。一つは、自ら仕事を引き受けて貢献する「積極的関与」。もう一つは、上司の判断も含めて自分で吟味する「独立的・批判的思考」です。ここでの批判は、反対すること自体を目的にする態度とは違います。前提や根拠を確かめ、必要なら異なる見方を示すことです。貢献力と批判力を、別々の軸として見るところが大切です。(ケリー「Rethinking Followership」)
この二軸による分類を日本語で整理すると、指示を待つ受動型、よく動くが判断は上司に預ける順応型、独自に考えても積極的な関与が乏しい疎外型、情勢を見ながら立場を取る実務型、自分で吟味しつつ積極的に貢献する模範型、という五つの姿が見えてきます。ただ、私はこれを部下の分類表として使う前に、上司自身の行動を振り返る材料にしたいと思います。よく考え、よく動く人を求めながら、自分の考えをすぐ実行してくれる人ばかりを評価していないでしょうか。
たとえば、訪問件数を増やす営業方針に対して、部下が「今の顧客は、面談前に比較検討を終えています」と指摘したとします。その見立ては確かめる必要がありますが、行動を嫌がっていると決める前に、顧客の選び方が変わっていないかを調べたいところです。反対意見を言う人の貢献力が低いとも、賛成する人の貢献力が高いとも限りません。どの意見が仕事を前に進めるかを考えるとき、上司への賛否だけでは判定できないのです。
2.本田宗一郎は、部下から何を教わったのか
寺子屋でも名前の挙がった本田宗一郎には、この問題を考えさせる逸話があります。ホンダの社史によれば、空冷エンジンにこだわる本田に対し、若手技術者たちは熱管理や排出ガスへの対応から水冷を求めました。藤澤武夫の働きかけと研究者たちの直訴を経て、水冷の本格開発に進みます。藤澤は本田に、社長として残るのか、技術者として残るのかを問い、本田は社長を選んだと記されています。自分が育てた技術者に、自分の成功を支えた考え方を問い直されたわけです。(本田技研工業75年史)
同じ社史には、低公害エンジンCVCCをめぐる話もあります。本田が、先行するメーカーに追いつく好機と捉えたのに対し、若い研究者たちは、排出ガス対策は自動車産業の社会的責任だと主張した。本田は後に、その言葉に目を開かれたと振り返っています。ここで教わったのは技術の細部にとどまらず、何のために技術を使うかという目的でした。上司が目的を決め、部下が手段を考えるという分担を、若い人たちの問いが越えています。
ケリーの二軸を重ねると、この姿は分かりやすくなります。研究者たちは、自らの仕事を引き受けながら、創業者の判断にも異論を向けた。貢献への意欲と批判的な思考が、同じ人の中で働いています。事業に深く関わるからこそ、方針を問い直す必要に気づくこともあるのでしょう。経営者にとって頼もしい相手は、自分の構想を実現してくれると同時に、その構想を修正する材料も持ってくる人なのだと思います。
ただし、この話を、勇敢な部下と最後には聞き入れた創業者の美談で終わらせたくはありません。社史が伝えるのは、異論がすんなり通る場面ではなく、対立と働きかけを伴った経緯・プロセスそのものです。そこでは藤澤武夫が、研究者の訴えを受け止め、経営判断につなぐ役割を果たした。現代の組織で考えるなら、上司との見解の違いを、誰と、どこで検討できるのかが問われます。毎回、特別な人物の仲介や部下の決死の直訴を待つ体制では、拾えない知見が残るでしょう。
3.心理的安全性を、上司の機嫌から切り離す
エイミー・エドモンドソンは、心理的安全性を、対人関係上のリスクを取っても大丈夫だという、チームで共有された認識として捉えました。分からないことを尋ね、懸念や間違いを伝えるときに、恥をかかされたり、不利益を受けたりする心配が小さい状態です。本人は、心理的安全性と高い仕事の基準は両立すると説明しています。内容を厳しく検討することと、発言した人の立場を脅かすことを分けられるかが、実務では問われます。(エドモンドソンの論文、本人による解説)
この考え方を職場へ移すなら、私は、意見を出す入口、その後の判断、評価での扱いまでを一続きに設計したいと思います。「何でも言ってほしい」という言葉を、何が起きてもその上司の気分次第という運用のままにしておかない。まず、重要な提案には、期待する効果と一緒に、成り立つための前提や現場からの懸念を書く欄を設けます。会議前に文章でも提出できるようにすれば、その場で上司の発言に割って入る力だけに頼らず、議論の材料を集められます。
会議では、上司が結論を固めて話す前に、担当者から事実と懸念を聞く順序をつくります。営業の例なら、訪問件数への賛否を求める前に、失注した商談の経緯を確認する。観察と推測を分け、未確認の点はそう断って共有すれば、互いの見立てを検討できます。「代案がないなら反対するな」を入口の条件にすると、異変に気づいた段階の声まで止めてしまいます。問題を報告することも貢献として受け止め、解決策を練る仕事は必要な人を集めて進めたいところです。
聞いた後の扱いも、決めておく必要があります。提案ごとに、採用する、条件を絞って試す、今回は見送る、のいずれかと、その理由を返す。すぐ決められなければ、誰が何を確かめ、いつ返答するかを記録します。営業なら、対象の顧客層を限定して提案方法を試し、確かめる期間と判断する人を決めることもできるでしょう。「検討します」のまま宙に浮かせず、意見が次の仕事にどう関わったかを見えるようにする。その応答も、上司の仕事として扱うのです。
さらに、直属の上司との対話で進まない問題には、別の管理職や人事に相談できる経路を用意し、相談内容を誰と共有するかも事前に示します。匿名の窓口を置く場合も、誰が確認し、どのように対応を返すかが要ります。窓口の設置だけで安心が生まれるとは限りません。率直な発言の後に、会議から外されたり、説明なく担当を奪われたりしていないかまで確かめる。心理的安全性を掲げるなら、発言した後の扱いにも、組織として関与する必要があると考えます。
4.部下の積極性と共に、上司の応答を評価する
ここで人事の仕事も変わります。フォロワーシップ研修で部下に主体性を求めるなら、上司が主体的な発言をどう扱ったかも点検の対象にしたいものです。たとえば、管理職の評価面談では、部下の指摘で見直した判断、見送った提案への説明、試行のために確保した時間や予算を、具体的な事例で確認する。採用件数を競わせる必要はありません。結論が変わらない場合でも、その意見によって何を検討したかを説明できることが大切です。
部下の評価では、「協調性がない」という言葉を、そのまま確定させないことも必要でしょう。具体的にどの行動を指し、仕事にどんな影響があったのか。上司の見解に反対したことと、相手を侮辱したり、他人の仕事を妨げたりしたことは区別されるべきです。異論を出したという理由で評価を下げていないか、上司以外の目でも確かめる仕組みが要ります。同時に、発言した側にも根拠の説明や、決まった試行への協力を求める。双方の行動を具体的に見ることが、公正な評価につながります。
ケリーの五つのタイプを見て、「うちには順応型が多い」と嘆くのは簡単です。しかし、異論が何度も棚上げされ、言った人だけが余計な仕事を背負うなら、考えを口にしない方が合理的になるかもしれません。私たちは、部下の性格だと思っている振る舞いを、自分たちの運用で強めていないでしょうか。人間の主体性というものは環境次第で変わるものです。提案を受けて調べる時間を確保することも、その検討を本人だけに押し付けず支援することも、貢献と批判的思考を両立させる条件になるのです。
もちろん、仕組みを整えればすべての異論が正しくなるわけでも、全員が満足するわけでもありません。決める権限と結果への責任は残ります。だからこそ、上司が判断を変える場合にも、変えない場合にも、その理由を説明することが必要です。聞いている姿を見せるだけでは、自分に教えてくれる人との関係は続きません。相手の知見が意思決定に関わることと、その発言によって立場を不当に損なわないこと。その両方を、日々の運用で確かめなくてはなりません。
孟子がいう「君主」は、相談があれば自分から出向きます。教わるために動く負担を、権限のある側が引き受けている。この姿を現代に置くなら、経営者が学ぶための条件を、部下だけに整えさせないということでしょう。皆さんの判断を変えるほどの知見は、すでに部下の手元にあるかもしれません。その知見が会議に届き、検討され、次の仕事を変えられるようにする。自分に教えてくれる部下を持つことは、そうした組織をつくる仕事でもあるのだと思います。
教える側と学ぶ側の関係については、関連記事「答えを教えることよりも問いを持たせること ~啐啄同時を考える」でも考えています。相手の学びを支えるという問いを、今回は自分自身にも向けてお読みいただければと思います。
