巨人の肩に乗りましょう!敬意をもって、そして学び続けましょう!

先般紹介したフランス語の金子先生がふとつぶやいた一言に、「スタンダード仏和辞典でまず読むべきは序文ね。あれは涙なしには読めない」というものがありました。

確かにこの序文は辞書のそれとしては珍しく、なかなか読ませるものです。

本辞典の前身『スタンダード仏和辞典』が刊行されたのは1957年5月、今から30年前のことである。この辞典の編纂が、どのような状況下に行われたかは、故鈴木信太郎先生の序に詳しい。
1945(昭和20)年空襲によって東京は焼野原となり、終戦の後、混沌とした時代が来た。焼け残った書庫に十五坪を継ぎ足して蟄居しながら、私は暗澹たる気持ちで世相を眺めていた。その時、大修館主人鈴木一平氏の訪問を受けた。息子同志が中学校で友達だったからである。用件は、仏和辞典を私に編纂してくれという頼みである。私は前述のように仏和辞典が1921年以来一度も新編纂されなかったのを残念には感じていたが、私自身としては到底その任とも思えず、また為すべき他の専門的な仕事を持っていたので、逡巡せざるを得なかった。然し一方に於いて、われわれフランス文学語学を専攻するものは、現在の辞典を早く編纂し直すことが、われわれの義務であると痛切に感じていた。そこで、編纂者を集めてこの事業を進めてゆくことを私が責任を以って実行するのが、恐らく辞典を作成する最も確実な最も可能な方法であろうと信じたから、心友辰野隆君に相談すると、早速やってみろと強く勧められた。私は、辞典編纂の方法と費用とスタッフと時間とについて熟考した。…(以下略)
『新スタンダード仏和辞典』1987年、「序」 ※丹羽が現代仮名遣い、常用漢字に修正した

鈴木信太郎(1895 - 1970)"Complete Works of Shintaro Suzuki, vol.5", published 1973 from "Taishukan Bookstore"

最近日本でも『舟を編む』という小説が映画化され人気を博しましたが、辞書作りは地道な、また大変な作業です(『舟を編む』のモチーフは国語辞典の『大言海』です。作品中は『大渡海』になっていました)。イギリスでも2013年、『中世ラテン語辞書』が100年以上の年月をかけて完成しました。これは日本でも『100年かけてやる仕事 ― 中世ラテン語の辞書を編む』(小倉孝保)として紹介されています。上記のスタンダード仏和辞典も10年の月日をかけて作り、新版改訂も20年の歳月をかけています。

辞書作りで思い出すのは、仏教学者である中村元先生の『仏教語大辞典』のエピソードです。中村先生はこつこつと20年かけて『仏教語大辞典』を一人で執筆しました。ところが某出版社がこの原稿をこともあろうに紛失したというのです。引越し騒ぎの中でゴミと間違えて出されてしまったそうです。出版社の人が謝りに来たものの、中村先生は怒られませんでした。「怒っても出てこないでしょう」と(けれども、さすがに1ヵ月ほどは呆然としたいたそうです)。その後、奥様の「やり直したら」の一言で奮起され、8年がかりで45000項目を書き直したとのこと。そして、「やり直したおかげで、ずっといいものができました。逆縁が転じて順縁となりました」と言ったそうです。凄すぎます。

さて、ふと辞書の話をきっかけとして思うことは、こうした一生ものの仕事があるおかげで私たちの生活は豊かになり、更に遠くへ進んでいけるということです。高校生のとき、歴史の教師が「教科書の1行を書くために何人も死んでいる」と言っていましたが、まさにその通りなのだろうと思います。2回のノーベル賞を受賞したキュリー夫人は研究に用いた放射性物質が原因で再生不良性貧血を患って亡くなっています。彼女の研究ノートからは100年が経過した今も放射線を出しているといいます。

化学にせよ工学にせよ、歴史にせよ文学にせよ、そこには過去の人間の絶え間ない必死の努力があったからこそです。企業の研究も商品開発も同じです。ニュートンの言葉を借りれば、「私(たち)がかなたを見渡せたのだとしたら、それはひとえに巨人の肩の上に乗っていたから」なのであって、そこへの敬意を忘れてはいけません。そしてそのうえで、しっかりとその巨人の肩に乗って、私たちは先に進んでいく必要があります。東京から歩いて名古屋に行く必要はありません。新幹線に乗ればよいのです。

しかし世の中にはそういった巨人の肩に乗らずに自分で歩いていこうとする人がなんと多いことでしょうか。初心を忘れ、学ぶことを忘れ、自我だけが肥大して、評価だけ求めようとします。謙虚に学び続けることが大切です。それによって、私たちはもっと遠くへ移動することができるでしょう。

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