18-02号:カリスマ亡き後のシンガポール

戦略国家・シンガポール

羽田空港から七時間程度、マラッカ海峡の先端、東西をつなぐ海路の要衝にシンガポールは存在します。東京二十三区同等の土地に五百五十万人の人口、一人当たりGDPは五万㌦を超え、東南アジア随一の繁栄を誇っています(日本の一人当たりGDPは四万㌦弱)。金融街、中華街、インド人街、マリーナベイサンズ等のあるベイエリアなど、限られた地域の中に驚くほどの多彩さを見せ、観光客を楽しませてくれるでしょう。

もともと英国自治州であったこの土地は、水も隣国マレーシアから輸入しなければならないほど「何もない国」でしたが、一九六五年の独立後、初代首相リー・クアンユーの強大なリーダーシップのもとで戦略国家としての道を歩んできました。地政学上の利点を生かし、港湾、金融、空港など様々なサービスの要衝としてグローバル・ハブ機能を備え、あらゆる人・モノ・カネ・情報がシンガポールを経由して出入りするモデルを描き出したのは見事な戦略でした。シンガポールのPSAインターナショナルは世界最大の港湾オペレーターであり、チャンギ国際空港は四年連続ワールド・ベスト・エアポートに選ばれています。

リー・クワンユー亡き後、現在の首相は息子のリー・シェンロンですが、最近では兄弟間の確執などお家騒動もあるようで、カリスマ亡き後の政治動向は世間の耳目を集めています。


シンガポール人優遇施策

カリスマの死という政治的求心力の低下は、同時に国民世論への配慮という形で政治に影響しています。元々移民を受け入れることで発展してきたこの国は、近年シンガポール人優遇施策を次々と打ち出しており、就労ビザの規制強化や永住権取得の制限、あるいはシンガポール人雇用を優先しない企業に対しては「ウォッチ・リスト」に掲載し様々な不利益を与えるなど、従来の路線とは異なる制度改革が進んでいます。もちろんベンチャー投資などイノベーション・ハブとしての施策は継続していますが、政治構造自体の変化を見逃すことはできません。経済成長が全てをカバーしてきた今までと比べ、少子高齢化や民族間格差、過度の競争社会への批判(小学校時点の成績で子供の将来がほぼ決まってしまう)など、社会構造自体の変化をどのように政治が吸収していくか、注視が必要です。


地政学的リスク

シンガポール発展の最大の理由はマラッカ海峡という立地の重要性です。逆に言えば、それ以外の点では殆どの資源を自前で賄えない脆弱性を孕んでおり、例えば水輸入についてもマレーシアとの契約は二〇六一年まで、それ以降は保証されたものではありません(これはマラヤ連邦とシンガポール自治州が共に英国領だった時代の取り決め)。これまでも幾度となくマレーシアの外交カードとして「水」は取引材料になってきました。

また、今後中国が「一帯一路」政策を進めていく中、長年の懸案であるタイの「クラ運河プロジェクト」の動向は今後も死活問題です。クラ地峡はマレー半島中央部に位置し、最も狭い部分は四十四キロ、最高地点は七十五メートル、ここに運河を建設し、マラッカ海峡を経由せずに中東やインドと太平洋を結びつける大構想は昔から継続的に存在しています。今のマラッカ海峡の海賊問題や大型タンカーの通航問題(マラッカ海峡は浅すぎる)、さらにはインド・欧州への輸送はマラッカ海峡ルートより千二百キロも短縮できるなど日本にとっては良いことばかりですが、シンガポールにとっては悪夢そのものともいえるでしょう。こうした変化による栄枯盛衰は歴史の常とはいえ、「新しいシンガポール」をどう作っていくか、その政治手腕が問われています。


編集後記

年始にシンガポールを視察する機会を得ました。今回は久々に海外レポートとして、リー・クアンユー亡き後のシンガポールを採り上げます。

アジアのハブとして発展するシンガポールは本当に小さい国です。この国がこれほどの発展を遂げた背景は、やはり小国の機動性を活かした「戦略」という側面を強調せざるを得ないでしょう。天才政治家の存在があったとはいえ、日本はなぜそうなれないのかと、嫉妬にも似た感情と悔しさが胸に迫ります。

ただ、五〇年の成功は次の五〇年の安泰を意味はしません。そこに次の世代の難しさがあるのは、どこの国も同様です。

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