16-01月号:黄昏のメコンデルタ

戦争の国、ベトナム

今も共産党政権が続いているベトナムは一人当たりGDPが二千ドルを超える程度で、他のアセアン諸国に比べてまだ経済発展が進んでいません。

第二次大戦後、フランスからの独立戦争、米国とのベトナム戦争、中国との中越戦争と一九八〇年頃までベトナムは戦争の渦中を抜け出せずにいました。ベトナム戦争の爪痕としては、日本でも「ベトちゃん・ドクちゃん」が思い出されますが(枯葉剤の影響が示唆されている)、同様の人体への影響は数多く、ホーチミンの戦争証跡博物館に詳しく展示されています。一方、ベトナム共産党は戦争が落ち着いた一九八六年以降、ドイモイ(刷新)政策として、市場経済の導入と対外開放を進め、今日の安定した成長を実現しています。その意味で、この一九八六年以降が本当の意味でのベトナムの「戦後」ということができるでしょう。日本から四〇年遅れての再出発となりました。

あまり知られていませんが、ベトナムでは産児制限がかかっており、俗に「ふたりっ子政策」と呼ばれています。東南アジアではインドネシア、フィリピンに続いて人口が多いベトナム、仏教国で親日といわれていますが、政治体制も大きく異なり、近くて遠い国かもしれません。


遅すぎたスタート

ベトナムの二大都市といえば、ハノイとホーチミン(旧・サイゴン)ですが、今は排気ガスでマスクをしないと歩けない程二輪車で溢れかえっています。二輪メーカーでいえば、シェアの七割を握るホンダを筆頭にヤマハ等の日本勢が続き、国産車はありません。

一人当たりGDPがまだ低いとはいえ、グローバル化の進んだ現在では、ベトナムでもスマートフォンや最新家電など、それなりのものを手にすることができます。企業も市場に合わせて価格設定しており、購買層にあった商品を提供しているのです。逆にいえば、ベトナムの企業が独自で自動車や家電を開発して輸出する加工貿易を発展させるのは今となっては極めて困難です。ベトナム国民もあえて質の低い国産品を買うよりは質の高い輸入品やブランド品を購入するでしょう。日本が発展してきた二〇世紀後半とは異なり、現代はあまりにも世界が一つになり過ぎています。それなりに時間をかけて国内産業を発展させることができた日本は、見方によっては幸運だったのかもしれません。


今後の発展の方向性とは

ベトナム南部はメコンデルタの一角を占め、農業が非常に盛んな地域です。野菜と果物は放っておいても成長するような環境でもあり、農業のポテンシャルは非常に高いといえるでしょう。一方、食料が豊富にあり、「食うに困らない」という環境でもあるため、生産技術面ではまだまだ未熟、生産性を国際基準まで高めようという発想もあまりないようです。さらに、生産した農産物を運ぶインフラも十分とは言えず、例えばメコン川の支流に架かる橋が大型トラックの走行に耐えられない、あるいは道路の舗装状況が十分ではなく運送に適さない、低温物流・低温保管が未発達で冷凍食品などには対応できない、など様々な問題が存在しています。日系企業が低賃金を理由に進出する際は、こうした現地の実情を理解した上でオペレーションすることが重要です(交通インフラが未発達なために、あえて非効率な生産設備をかかえざるを得ない場合もあるようです)。

二〇一五年末に発足したアセアン経済共同体(AEC)では、ヒト・モノ・カネの域内移動の活性化や域内分業の高度化が目指されていますが、TPP同様、必ずしも皆が諸手を挙げて賛成というわけではありません。既にベトナムに進出しており工場を稼働させている先述のホンダやトヨタなどは、関税がなくなればベトナムに進出した意味がなくなる為(タイで生産した方が効率が良い)、基本的にネガティブな反応を示しているといいます。

潜在的な成長力のあるベトナムですが、政府が発展の方向性を確り定め、重点分野への積極投資が必要でしょう。どのような方向に行くのか、興味が尽きません。


編集後記

年末に現状視察のため、ベトナムのホーチミンに行って参りました。他のアセアン諸国に比べても活気があり、むせ返るような排気ガスの臭いにアジアを感じました。

「東南アジア」や「アセアン」という言葉で一括りにされますが、この地域の国々は経済の発展度合いや政治体制、歴史、文化ともに多種多様です。やはり机上での勉強に留まらず、一度はそれぞれの場所に足を運び、五感で体験したいものです。

人材育成も結局は言葉の奥にどれだけ真実味があるかだと考えます。上っ面の言葉を並べることがないよう、確り現場に通い、現実を掴み取りたいと思います。

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